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トガクシソウ

季節を奏でる草花8(一年を振り返って)
 2015年から2016年は記録的な暖冬で、豪雪地帯でも積雪量が少なく雪解けも非常に早かった。ここで紹介するのは、例年より約3週間早く見頃となった植物である。35年前に購入した本「日本の植物 研究ノート」(田村道夫編 培風館)を久しぶりに読み返すと興味深い内容があった。長くなりますが、その一部を紹介したい。
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トガクシソウ(メギ科) Ranzania japonica 戸隠草
 この植物の和名と学名には興味深い話が残されている。和名のトガクシソウとトガクシショウマには深い縁があり、これと関連して「破門草」という名もある。明治時代に発見されたこの植物は、はじめて日本人によって学名がつけられた。その後、その学名は変更されて現在のRanzaniaとなったが、この名も江戸時代の本草学者・小野蘭山に因んだものといわれている。
 明治初期の日本は文明開化の時代で、新たな植物が発見されると外国の学者に標本を送り同定してもらうことが常であった。その一人がロシアの植物学者・マキシモビッチ、当時の東アジアにおける植物分類学の権威である。伊藤篤太郎博士は父・伊藤謙博士の採集した標本(採集地:信州戸隠山)を研究し、明治17年自ら学名をつけてマキシモビッチに標本を送った。これを翌々年マキシモビッチが新種として発表した。もう一人の谷田部亮吉博士は二回ほど信州戸隠山で採集し、明治20年マキシモビッチに標本を送る。当初マキシモビッチは別の種と考えていたが、その後に完全な標本を受け取り、研究を進めて同種として扱うとの結論に達した。明治24年その学名が発表されたが、研究を継続していた伊藤篤太郎博士は、それより前の明治21年に名前を変更して発表していた。学名をつける時には混乱を避けるために、より早く発表された学名をその種の学名とする約束がある。一方、和名には厳密なルールがないのでどちらの名前を使ってもよいことになる。伊藤博士はトガクシソウ、谷田部博士はトガクシショウマという和名を使っていた。しかし、この分野では先輩格にあたる谷田部博士をさしおいて学名を発表したことから、伊藤博士は周囲から厳しい扱いをされたという。このことからトガクシソウを「破門草」と呼ぶこともある。
 現在ではトガクシソウは戸隠以外でも採集されて、一属一種の日本固有種と考えられている。研究も進み積雪日数とトガクシソウの関係も報告されている。この研究では、年間積雪日数120日以上の地域と分布が重なり、ごく限られた生育地で個体数も非常に少ないという。生育地は多雪地帯、標高7001000m程度のブナ林、渓流沿いで傾斜のきつい北よりの斜面といわれている。雪に被われることは保湿・保温効果で湿度や温度変化が少ない。斜面は雪崩など雪の移動が激しく、木本の植物が入りにくいという。積雪量との調査は少なくとも35年以上も前の調査であり、生育に適する環境は確実に減少している。これに追いうちをかけているのが盗掘である。戸隠では自生のトガクシソウはほとんど見られなくなった。撮影地では例年6月に開花、見頃は中旬である。開花しているという情報を知り、急いで5月下旬に訪れた。雪は全くなく途中の山道は乾き、トガクシソウは終わりを迎えていた。話題満載のため、長文になってしまい大変申し訳ない。(2016.5.26)
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